昨日までは毎日晴天だったが、今日は朝からやや曇り、遠くに近くに小高い砂丘が続いている。有明の月と明けの明星が砂丘の上に輝き「ああ!砂漠の旅の中なのだ」という感傷を覚えることしきり。しかし、トイレという段になり再び砂漠の旅を実感した。ヨシの葉の茂る草叢へ。踵で小さな穴を掘り「考える人」となる。終わるとロールとウエットティシュで清潔に。ウオッシュレットなれたお尻だがウエットティッシュでも大丈夫だった。ついでにそのまわりも清潔に。
朝食。しかし、何を食べたか忘れてしまうほどに朝は忙しい。朝はマントウとか、お粥とか、乾麺の茹でたのが多いとのこと。
ラクダの旅の始まり。4番目のラクダに乗った。ジロウと名づけた。昨日はこぶの毛を掴んで四苦八苦だったが、今日は丸太の前後に輪にしたロープが付けてありいくらか握りやすく改良されていた。それでも立ち上がるときは、ぐわぁらんぐわぁらんと体が前後に揺れて振り落とされそうになる。
ラクダはとても臆病だ。車のエンジン音を怖がるので、前から来る車には必ずエンジンを切って止まってもらう。そのために、いつも呉さんが先頭を歩いている。呉さんは道路に長い棒やぴらぴら動く布切れを見つけると道路脇に投げ捨てる。ラクダがヘビと間違えて大騒ぎするからだと言う。後ろから来る車はしばらくは後続のバスが止めていて、ラクダが道の脇に入れる所になると道を譲り行ってもらう。申し訳ないような「ラクダの旅」だが、新疆の人たちはとても気持ちよく協力してくれる。
午前中は、尻は痛かったが順調だった。昼の弁当は「マントウ・ジュース・牛肉ソセージ・ゆで卵・リンゴ・スイカ」だった。固くてパサパサのマントウ以外はまずまずの食事だった。
午後の始めに、二人の転落があった。一人は乗り始めている最中ににラクダに立たれ、首の上を滑る様にして一回転して砂の上へ。もう一人は輪にしたロープが抜けて「あっ!ロープが…」と言って仰向けにドスン。二人とも外傷も打ち身もなく、再びラクダの上に復帰した。ラクダがまともに立てば乗っている人の頭は3mの高さだ。何事もなくてホッとした。
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午後になると風が出てきた。つむじ風がくるくると砂を巻き上げて走っていく。もうちょっと大きければ竜巻と言えそうだ。遠くに山が連なっているのが霞んで見える。アルキン山脈だと言う。この雪解け水が春にはこの辺りの砂漠を水浸しにするのだとか。そう言えば水のない砂漠の道路のところどころに橋があり、その下が空洞になっている。水の通り道なのだ。
あたりが真っ白になってきた。いや薄黄色といった方が適切だろう。小さな砂嵐だ。この辺の人たちにとっては当たり前の午後の風かもしれないが、初めての私たちにはとんでもない砂嵐だ。ラクダの上で、落ちない様に気を付けながらバンタナでマスクをした。サングラスも落ちない様にしっかりと掛け直した。50m先も見えなくなってきた。
前方にトラック・トラック・給水車と並んで止まっている。給水車がもがいているのだ。蟻地獄だ。助け出すこともできず、脇を通ろうとしたトラックも蟻地獄へ。ついに全車が立往生となった。小さなジープの活躍だ。チャリクリクに走り、救援のブルドーザーの出番を待った。
宿舎は道班のホールと寝室。食事はわずかに残っていたマントウと個人所有のソーセージやチーズ、貴重な食料を分け合い、寝具もないままに、ラクダに敷いた8枚の毛布と20枚の座布団を分け合って寝ることになった。
9時、早くもホールは動物園に、大きな野獣、小さな野獣があっちではグワオォン、こっちでもグオン、とてもまともには寝られない。夜中の3時に車が到着した。ご苦労さま。荷物はすぐに下ろされた。さっそく自分の荷物を探して、シュラフを出して外に寝た。すると幹部が外でがやがやと打ち合せを始めた。「中国隊は寝たばかりですよ」と注意して止めてもらった。
夜の星がきれいだった。砂漠での野外就寝は初めてだ。病み付きになりそうなほど素敵だ。