2001年 第2次西域南道探検隊 "らくだの旅"日記


記 長谷川 進


9月19日(水) おじいさんは川で洗たくを


 寒い。日の出前は震えるほどだ。長袖の上着を着て川に出かけた。川の水で顔をジャブジャブと威勢よく洗った。冷たい水に頬がピーンと張ってくるのが分かる。こんなに豊富な水で洗顔をしたのは何日ぶりのことだろうか。いつもはバケツ1杯の水を9人が分けて使うので、1人は掌に3杯程度の水、それで
歯磨きと洗顔なのだ。

 小高い丘の上に小さな桝があった。そこから事務所に向って溝が切ってある。ここにポンプで水を揚げて事務所の方に流し、水を水槽に溜めるのだという。砂漠での水の確保には苦労が多い。

 東の空が黄金色に輝く。西の雲はまだ薄墨色のままだ。南のアルキン山脈の高い嶺の白い冠が少しずつ色づいてくる。小高い丘に吹き上げてくる風が頬を切るように冷たい。突然、頬の風がフワーと生暖かくなった。日の出の前兆だろう。心地良い温かな風はそのままやんわりと吹きあげてくる。彼方に横たわる尾根がパッと明るく輝いた。太く白い光の束はくす玉のように弾け、数え切れないほどの金色の糸が流れてきた。サングラスをかけなければまともに見られないほどの強烈な光が一気に射し込んでくる。

 今日はラクダさんの休養日、この3日間は飲まず食わずにがんばってくれたのだ。今日の休養地は大きな川があり、草もたっぷり生えている。泡を吹いてバテていたラクダもきっと元気になることだろう。ラクダは食いしん坊で、棘だらけのラクダ草をガボッガボッと食べてしまうのだ。

 今日は2食だけ。午前11時と午後6時の食事だ。時間潰しは綱引き大会。日中合同で2組に分かれ、「いーあーさん」「イーアーサン」と中国式の掛け声で3回戦った。1回戦、途中から相手がびくともしなくなった。そしてついには力尽きて引きづられた。2回戦、3回戦と勝ち、私たちの組の優勝。それにしても1回目が…と思っていたら、最後尾の人が、「実は、1回目は途中でトラックのバンバーに綱をかけたのさ…」と白状した。中国のシェフたちもなかなかのお茶目さんだ。勝利のビールがおいしかった。

 おかゆと醗酵した真っ赤な豆腐(腐豆)とトマト、そして肉たっぷりのまんじゅう、この肉まんは大好評でアッという間にみんなのお腹の中に収まってしまった。

 朝食後、ケガをしたMさんをバスでチェルチェンに送り出した。付き添いは長澤さん、佐藤さんも胃が痛いということで一緒に病院に行くことになった。



 この日は羊の屠殺が行われた。カースンの親分がナイフ1本で見事に捌いた。頚動脈を切り、気管を切って息の根を止め、血と胃液を全部流し出して、頭を切り落とす。後ろ足の腱の所から空気を吹き込んで皮を膨らませて、腹の皮を縦に切り裂く。四肢の皮をはぎ、腹側から背中に向けて皮を剥ぐ。金具にぶら下げて、腹を切り裂き小腸の中身をしごきながら取り出す。肺や大腸は捨て、レバーやハツやマメを取り出す。実に手際いい。

 次は日本隊の番だ。竹内さんがカースンのナイフを受け取り羊に馬乗りになり、拝んでから首にナイフを刺した。凄い度胸にただただ感心した。空気を入れた後はカースンにナイフを返した。

 卓球大会も盛り上がっていた。6時の食事までは自由時間、晴れて温かいというより、暑いほどだ。川で体を洗ってきた。ラクダで擦れたお尻が痛い。下着が擦り傷の血で汚れていたので川できれいに洗った。本を読みながら日向ぼっこするもの、裸になってサンシャワーを浴びるもの、久々の自由時間が貴
重だ。おじいさんは川で洗濯を…、山に柴刈りに出かけたお兄さんお姉さんおばさんも何人か。

 


 夜も肉まんのご馳走、食欲が…とか、お腹の調子が…と言うものもいたが、肉まんにはみんなが飛びつくように食べた。夜が更けると歌声喫茶「ともしび」開店。7名の仲間が「らくだ歌集」にある古い昔の歌を思い出しながら楽しみ、時間の経つのを忘れた。

 真夜中、12時半、バスがチェルチェンから戻った。Mさんは脊椎の圧迫損傷で3ヵ月の重傷。一緒に行った佐藤さんは急性胃腸炎で入院と言う報告だった。

 風向きは午後と明け方では逆になる。日本の浜風、山風と同じ理屈なのだろうか。高度は1500m、気温は10度を下回った。人工の光のない世界、この前体験したのはいつのことだったか。星がいっそう輝きを増す。北斗七星の柄杓から溢れ出した天の川の流れは遠く天空の彼方に消えていた。織姫と彦星がときならぬ逢う瀬を楽しんでいる。カシオペアとの間にある北極星は東京で見るよりかなり高い位置に見える。

 人工衛星が二つ三つ南から北の方角にゆっくりと動いていった。落日の美しさは言葉にならないほどだ。このすばらしい景観を保つためにも、私とイチローさんは進んでみんなのゴミの焼却をしてきた。


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