砂漠の旅、前半戦の最終日。早いような遅いような。朝のテント撤収で、3班がもたもたしている。他の班はテントを畳み、野外で食事をしているのに、テントの中で和やかに笑いながらの楽しい食事。これも砂漠流の幕営生活でしょう。ただ、撤収のときに手伝って〜〜の一声さえなければこれも結構なことでしょう。
今日こそは、のんびり歩きましょう。チェルチェンが近いので車の往来が激しくなるため、ラクダが人を乗せて歩くのはむずかしいということで全員が歩くことになった。午前の15キロ、プラスの2キロは相変わらずの一直線。
道班を出てすぐにアスファルト舗装の道になっていたが、出発する時間になるとトラックが到着して、手に手にシャベルや箒を持った道路整備の人たちが下りてきた。みんな一様にオレンジの帽子とチョッキを着ているのですぐ分かる。昨日の砂嵐で荒れた道路の整備なのだ。15名が一隊となってのんびりと道路の砂を掃き出していく。
いつ通るともわからない車のための整備だ、急ぐこともないのだろうし、明日又あのような砂嵐が吹き荒れるかも知れないのだ、この悠久の大地では、のんびりが一番なのかもしれない。シャベルの柄は真っ直ぐですごく長い、こんなのでうまく出来るのかなといぶかしがってしまう。
野営していたところから100mも離れていない所に、真っ赤な水の流れる大きな川があった。砂漠のなかに、と驚くような川、だが、その水は細かな砂が溶け込みどろどろと流れている。この大きな川もやがてはタクラマカン砂漠の砂地の中に消え去ってしまうのだ。
橋を渡ると、また昨日と同じ風景の連続だ。ただ違うのは、砂地に動物の足跡が無数についている。恐らく、チェルチェンの羊飼いが連れ歩いている羊の群れの足跡だろう。大きな群れを作って小鳥が北に向って飛び去っていった。この時期に北への渡りなのだろうか。
陽射しが柔らかだ。今日はだれもがのんびりと歩いている。こんなのんびりだと半袖では薄ら寒い。みんな長袖のようだ。ところどころに昨日の砂嵐の余韻をただよわす砂が道路にこんもりと積みあがっている。
ラクダはもう先に行ったのだろうか。ハート型の足跡が砂の上に残っている。10日ほどのラクダとの共同生活だが、そんな足跡にもふっと愛情を覚えてしまうのは旅の感傷だけだろうか。
ちゅるちゅると走る影が。はっと気づいて見やると、例のトカゲくんだ。逞しい。今日は涼しいので活動が活発なのだろうか。もしこのトカゲくんがコドモトカゲのように2mもあって、あのスピードで追いかけてきたら、「うわぁお!」というほど怖いだろう。
「おいおい、あれはなんだ…」
みんなの目が地平線に固定された。「オアシスだよ!街だよ!町だよ!ビルだよ!アンテナだよ!」
前方にまっ四角の影、ひょろっと高い影、ニョキと立つ高い塔、黄土色に霞んでうすぼんやりだが、ビルの群れ、テレビ塔、軒を連ねる民家の屋根、ついにチェルチェンの町に着いたのだ、と喜んだが、近づくに従いそれらは胡楊がつくりだした町の影に過ぎなかった。 町を離れて10日間、私の眼には町の影
としか映らなかったのだ。
昼ごはんは胡楊の木陰の少し手前、あの木陰まで行けばいいのに、なとど文句を言いながら例の昼弁当セットを口にした。遠くを見ると河原のように礫のごろごろした原っぱのむこうにラクダがいた。人を乗せない空身のラクダは速いのだ。途中でウイグル帽子を拾ったのでカースンのものかと思い届けたが、彼の頭にはいつもの帽子がのっていた。
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ラクダたちは小さな小川の辺で水を飲み、草を食んでいた。水は赤茶色に濁っていたが手を洗ってみると意外に冷たく、サラッとして気持ちよかった。水辺のヨシは大きく、とげとげのアザミも元気がよかった。水飲み場のラクダは絶好の被写体、みんなパチパチと写真を写していた。
河原では「玉探し」がはじまった。拾った石をカースンに見せると、こんなのは「ポイ!」という動作を見せ、にこっと笑っていた。そう、私のポケットには数日前にカースンに貰った本物の"玉石"が入っているのだ。
午後からも15キロ、左右に胡楊の並木が続き、その奥には10cmほどのポプラの若木が頼りなげに植えられていた。綿花畑があり、トウキビ畑があり、大きな砂利の採取場もあった。こちらのトラックはドデカイ。大きな車輪をいくつも並べた巨大なトラックが砂利を満載して行き来していた。
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「ヤクシー!!」「ニイハオ!」野良仕事をしている人たちに大きな声で挨拶すると、あちらからも大きく手を振って笑顔で答えてくれる。気さくな笑顔がすてきだ。
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「ヤクシミシズ!」
道端に立っている老人にちょっと気取って右手を胸に当てて、こちら流に挨拶すると、白い髭をなでながら、にこっと笑い、右手を差し出して握手をしてくれる。
このあたりの人たちは、道端で握手をしたり、肩を抱き合って親密に挨拶する風習がある。小さな子どもがいると「プラ笛」を吹いて聞かせる。「これ!なんなの」といった顔で一生懸命に聞いてくれる。平和だ。アメリカのテロの事件もこの辺ではよその星、他の世界で起きた話なのだろう。
道端に自転車が2台転がっている。道路脇に少年が2人。手にはポンと割られた真っ赤なスイカが。「おい、どこの畑からチョンボしてきたのだ」と聞きたくなるような雰囲気だ。「おれにもくれるか!」と手を出すと、これまたにこっと笑いながら、さらに半分に割って差し出してくれた。甘いスイカだ。純真な笑顔、輝くまなこ…すてき。
家並みが続くようになると、2つ、3つとマッチ箱の売店が立ち並ぶ。コーラ、果汁飲料、ビールそして白酒が棚に並ぶ。
「コーラ!」といって指差すと
「○・▲…◇???×???」と店番の少女が問い返してくる。全くわからないがもう一度コーラを指差すと、にこっと笑ってマッチ箱から出て行った。外には冷蔵庫があって、その中から冷たいのを出してくれたのだ。さっきの問いかけは「冷たいのがいいですか」だったのだろう。
「How much ?」金勘定の手まね。
「アール・・ウー……」
10元札を出そうとすると、私の手元を見て、私の手からすばやく2元と1元の札を取り出し、5角札の釣り銭をくれた。
目鼻立ちの整ったかわいらしい少女だった。中学生くらいだろうか、家の手伝いをしているのだろう。彼女もあと3年すると大学入試の共通試験のために目一杯勉強をするようになるのだろう。一体何点くらい取れるのだろうか。この子ならかなりの得点を取り、北京へ、西安へ、南京へと出て行き、やがては
国を代表するような人となって世界にはばたいていくだろう。そんな予感がした。西安外国語大学日本語学科に入学するには480点くらい必要だという。
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「ヘーイヘイ、バッシボッシ」
後ろから大きな掛け声がして、ガラガラゴトゴト車が走ってくる。振り返ると黒牛が小さな荷車を引いて走ってきた。男が太い棒で牛のお尻をビシバシと叩きながら牛車を操っていたのだ。咄嗟に「おい、乗せてくれ……」と手振り身振りを交えて日本語で叫んだ。
男は牛を止めて「◎・○・▽・×○●□×……」といって後ろを指してくれた。お願いが通じたのだ。大森さんは御者席のとなり、私は荷台に乗って気持ちよく走り出した。
「ヘーイヘイ、ビッシ・バッシ」
黒牛に牽かれた牛車は快調に走る。途中で渡辺孫悟空に出会い写真を撮ってもらった。イチローさんがおれも乗せろというとだめだという、なぜかというともうすぐに止まるからだと言う。確かにそれから少し行ったところで牛車は止まった。ここに用事があったのだ。1キロ、いやもうちょっと走っただろう。牛車に乗ったのは初めてだった。いやいや興奮で胸がドッキンドッキンした。
道路脇の人たちとの挨拶を繰り返しながら町に入った。ガソリンスタンドの脇にバスが止まっている。
「長谷川さん…」呼ばれて振り向くと戸田さんが冷たいビールを差し出してくれた。
「ああ、うまい…」 えもいわれぬこのうまさ、「死んでもいい……」
ホテルは町外れにあった。広い敷地には緑の芝生、3階建ての瀟洒な造り。水が出る、お湯が出る、シャワーがある。砂埃のない文化生活になぜかホッホッ…。
竹内さんと浅輪さんの誕生日を祝うケーキも用意されていた。何日振りだろう、イスにテーブル、ウイグルの娘たちのお給仕。テーブルを充たす10品のウイグル料理が王侯貴族の「宮廷料理」よりも遥かに豪華に見えた。冷たいビールが堪らない。4品ほど出た緑の葉物の油炒めはアッというまになくなってしまった。
夜の町、食後なのに「宝地焼肉店」がおススメと聞き出かけた。シシカバブ・冷たいビール、おいしかった。トイレに行きたくなったので若者に聞くと、「よし、わかった。おれのオートバイに乗せて連れて行く」
という。さすがにトイレまではと断ると、一緒に歩き出した。
「おれのオートバイはホンダだ。」と男は盛んに自慢する。そう中国ではスズキと提携しているのでスズキの製品が多い。それだけに日本のホンダを自慢したかったのだ。こんなだったら乗って上げればよかったなと思いつつ交差点へ。
交差点の角にきれいなトイレがあった。"公厠WC"と表示されていた。料金は2.5角。1元を出すと、これ以上のボロ札はないというようなヨレヨレ紙でお釣がきた。まあ、きれいだ。若者も一緒に来て手を洗えと教えてくれた。