2001年 第2次西域南道探検隊 "らくだの旅"日記


記 長谷川 進


9月30日(日) ああ!カメラがお釈迦だよ


 今日はラクダに乗る日だが尻と腰が痛いので歩くことにした。30キロくらいなら歩く方が遥かに楽だ。新井さんの昔話を聞きながら歩いた。化学が専門で、健康食品関係の仕事をしていたとか。刀の収集が趣味だとか。そんなことをしていたら先行の3人に遥かに離されてしまった。5キロ過ぎから追いかけたが午前中にはとうとう追いつけなかった。

 15キロで昼ごはんだと思い休憩していたらラクダの調子がいいので、もう2キロ先で食事だと伝達があった。先着のものたちは完全にお休みモードになっていた。到着してから45分も経っての再移動は正にヤレヤレという感じであった。

 次のキャンプ地の選定、総距離の把握、昼ごはんの場所などは1日30キロ程度の移動なのだからジープを先に走らせれば簡単なことだろうに。ましてやテントのトラックは早々に到着して準備をしているのだから、ジープで往復1時間にもかからずに出来ることなのになぜしないのだろうか。探検隊だから敢えてしないのだろうか、と疑問を持ったままの……。

 午前中は涼しかった。ヨシの茂る荒れ地。泥が表面だけ固まったような地質、小さな凹凸の土盛が左右に連なっていた。道は右に左にと大きく曲がりながらアップダウンを繰り返している。道路脇の電柱が道の曲がりを教えてくれ、消えていく距離で坂道の傾斜も予測できる。

 午前中に先行していた人の一人は、午後はバスの中で昼寝だ。なんだ、だからあんなにがんばって歩いていたのか。午後は38度の暑さになってきた。胡楊の疎林が続く。胡楊は自分の根に吸い込める水の量に応じて枝を伸ばしている。また、隣りとの間隔も水がすべてを支配する。

 30キロを越えたあたりで、いくつかの坂を上り詰めると突然きれいな砂丘が現われた。その先は地平線の彼方までまっ平らな砂地が続いていた。これが砂漠だ、と言いたくなるようなすばらしい景色だ。砂に作られた風紋が美しい。のんびりと写真を撮っていたら歩くのが億劫になってしまった。歩きはリズムを崩すと取り戻すのが大変だ。

 カメラの調子がおかしい。ジジジーと重たい音がしてかったるそうだ。やがては動かなくなるだろうと思っていたが、とうとうそうなってしまったか。黄土色の細かな砂埃がカメラの中に詰まっているのだろう。これからはデジカメだけが頼りだ。

 トラックが逆走していった。しばらくすると荷台に8名の人を乗せて戻ってきた。そう、今日は5時にバスがラクダ隊を乗せ、歩いている人はバスが追いついたらバスに撤収という約束になっていたのだ。そしてトラックはバスより先に希望者を乗せて戻ってきたのだ。私たちが着いたのは4時50分だった。この日は完歩出来たのは相曽さん、大森さん、長谷川の3人だけだった。油井浜さんは3キロ手前でバスに乗せられたと残念がっていた。

 「野猪川」というのがキャンプ地の地名だ。広い砂地にテントは張られた。北の方には川が流れている。川の水は赤茶色だが、周囲には豊かな緑を貯えるだけの力がある。川に沿ってヨシなどの野草が生い茂り、緑の帯が長く伸びていた。

 「なになにビールは売りません。」 そう、今日から晩ごはんまでビールは販売してはいけないことになった。なんで、どうして、疑問はたくさんあるが隊長の命令なら仕方ないと我慢することにした。

 暑いなかを一生懸命に歩いてきたのに、ああ!泡の出るものがほしい。という心境を理解してもらえないのか。何か、誰か、不都合なことでも起こしたのだろうか。少なくとも私はその原因を作っていないつもりだが。

 それにしても随分とひげ面になったものだ。これで25日もひげを剃っていないのだ。夜は戸田さんの退職祝いの席となった。1人1本の所定のビールはあっという間になくなり、いつもの倍のペースでコップは空になっていった。ドクターがハーモニカで日本の歌を吹いている。彼のハーモニカの楽譜は123という数字で書いてある。「惜別の歌」「赤とんぼ」などがお気に入りで上手に吹けるようになっていた。


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