朝のお勤めは門を出てしばらく歩いたヨシの原っぱ。昨日の馬が長い紐に繋がれて、その紐を一杯に伸ばして朝から草を食んでいた。青空トイレも今日でお終いだ。青空トイレの優れものはウエットティシュだった。お陰さまで、一番の心配だったお尻をいつもサラサラに保つことが出来た。
テントの撤収も最後だ。テントの撤収ではいろいろなことがあったが、やはり自分のことは自分でが大原則だろう。今日はいつもとは違う車にテントを納めた。長距離輸送の準備だろう。
砂漠最後の朝ごはん。乾麺はあっという間になくなった。腐豆も今日でお別れか。日本の納豆と一緒で好き嫌いがハッキリしていた。お粥、麺類には欠かせないのだが。ラクダ乗りも最後だ。曇り空で寒そうだったので上着を3枚も重ね着した。
今日のラクダはハチベエだ。ジロウは別の班が乗ることになった。ハチベエはジロウより太めだが、やはりおとなしい。ただ、ラクダによって歩き方が違うので体がリズムを覚えるまではちょっと緊張する。ハチベエでも尻の皮を一枚剥がれてしまった。
今日のラクダからの眺めは格別だ。遠方の一角だけ、黄色く色づいた胡楊の林が見事だった。近くでは潅木が草紅葉を作り、砂漠も秋の気配を深めている。道は右に、左にと曲がりながらヨシの原っぱを通って行く。ときにはピラミッドと見間違うほどに美しい直線を描いてそそり立つ砂丘もあった。その手も切れそうなほど鋭い角には小さな砂粒が一列に並んでいるのだろう。
午前の後半になると陽射しが強くなり、上着を脱いでもまだ暑かった。尻の痛さもこれが最後と思うと痛さを楽しむ心境になってきた。全員集合の号令がかかった。あと800mでゴールだという。ゴールでは中国隊が横断幕を張って出迎えてくれるので、胸を張ってどうどうと。ラクダの背に跨り「ハハーイ・ハイ」「ははーい・はい」「もう少しだがんばろう」と掛け声をかけて進んで行った。
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"第2次西域南道探検隊成功"という真っ赤な横断幕の下で中国隊の人たちが拍手で出迎えてくれた。爆竹がバババーンと鳴り続け、隊員たちはお互いに抱き合い、握手を交わして健闘を称えあった。
大粒の涙をぽろぽろと流しているものもいた。思えば20日間の砂漠の旅は決して楽なものではなかった。砂あらしあり、熱風にさらされる日あり、ギンギラの太陽に汗が滴り落ちるときあり、足首までズボッと潜り込む流砂あり、と様々な環境を歩き通してきたのだ。体力との勝負の人あり、人間関係に頭の痛い人あり、腹の具合に悩む人ありとこちらも様々だ。
砂漠の最後のお弁当は揚げマントウ・リンゴ・ジュース・ゆで卵・ソセージ・スイカ、この同じメニューを何回食べたことだろう。イチローさん、阿部さんとの最後のゴミ焼きも終わった。風が強く焼くのが危険だったがそこはベテラン、上手に最後のゴミを始末してお役目を終了とした。
ニヤまで23キロ。バスに全員が乗り込み移動した。町が近づくにつれヨシの原っぱの密度が濃くなり、やがて緑の草原となり、ポプラの並木が見え、農家がたくさん見えるようになってきた。農家の裏には柴を垣根にした小さな囲いがあり、その中には羊や山羊が囲われていた。町が近づくと犬の鳴き声も多くなってきた。綿花畑の近くの水場にはロバや牛が仕事を待っていた。
「華都賓館」というホテルは4階建て、バス付の温水シャワー・水のよく流れる水洗トイレ・きれいな洗面台・ふわふわのベット、これこそ五つ星ホテル、いやいや満天星ほてるだろう。さっそく熱いシャワーを浴びてから町の見物に出た。町の中心にはロータリーのある交差点があり、その周囲にはシシカバブの店、ナンの店、牛肉麺の店、日曜雑貨の店が立ち並ぶ。
20分ほどで町の隅から隅まで歩ける。通りにはハミウリ、スイカ、干しぶどうを売る露店が並んでいる。ロータリーの少し先を右に曲がるとバザールだ。洋品店、パンストの暖簾、色とりどりの下着、日曜雑貨、さらに奥には野菜を売る店があり、かじ屋もある。夜はラクダ村の閉村式。南隊長の音頭で乾杯を重ね、最後はウイグルダンスで締めくくった。
夜市は楽しい。サモア、大きな餃子、シシカバブ、そして隣りから買ってきたビールで乾杯。一緒に連れて行ったウイグルの調理長がちょこまかとよく動いてくれた。ビールは4元だった。部屋に戻り荷物整理をした。カースンに衣類などを残して行くと言うので、シーツ・宮西さんに貰った布・トレーナー上下・セーター・マット・スパッツ・カッターシャツ・カバンなどを届けてきた。