2001年 第2次西域南道探検隊 "らくだの旅"日記


記 長谷川 進


10月4日(木)ニヤの休日


 北京時間の7時。現地時間では5時だ。ホテルの内外に人の気配を感じる。出てみると中国隊の厨房部員と中央電視台(テレビ)関係の人たちが帰る支度をしていた。ロビーに出て行くと通訳のコウさんが全員を紹介し別れの挨拶の間を取ってくれた。

 テレビのプロデューサーの女性が席を外すと、コウさんは嫌そうな表情を見せて、「あの女は嫌いだよ。えらそうにふんぞり返って、いつも一番いい席で威張っている」と私に呟いた。ふーん、中国隊にもそれなりの悩みがあったんだ。改めて人間関係の複雑さを知らされた思いだった。バスとジープは26名の隊員の半分を乗せてコルラに向って出発した。


 ニヤの朝は早起きだ。夜市の場所がそのまま朝の食事の場に変わるようだ。5時半にはカマドに火赤々と燃え出し、コークスの匂いが漂う。おかみさんがナンの粉をこね、パンを焼き、粥が煮立ち、大きな鍋から湯気が立ち上る。表に置きっぱなしの台の扉を開けると羊の肉が出てきた。おばあちゃんがシシ
カバブの肉を切り刻む。脇でお嫁さんが餃子をにぎる。みんな生き生きとした表情で働く、子どもたちの姿はまだ見えない。

 ここが夕べビールを飲み、シシカバブを食べ、餃子をつまんだ店とは信じがたい別の雰囲気だ。三輪自転車が牛肉麺の店の前で止まった。漕いできた小母さんがドンドンと見せの戸を叩く。中から女主人が眠そうに目を擦りながら起きてきた。野菜の引き売りなのだ。農家の小母さんがとれたての野菜を毎日売りに来るのだ。


 荷台には白い厚手のビニール袋がいくつも積まれている。覗き込むとインゲン・白菜・ホウレンソウ・春菊・ピーマン・なす・きゅうり・黄にんじん・長ねぎ・にんにく・じゃがいも・たまねぎ・せろり・とうがんなどこの地の野菜が、素朴な素顔のまま放り込まれていた。どの野菜も健康そうな自然の土化粧のままだった。

 引き売りの小母さんの手には竿秤が握られていた。中国ではほとんどのものがキロ単位で取り引きされている。キュウリでもカボチャでもいくらと聞くと値段を言う。それは一つの値段ではなく目方単位の値段なのだ。引き売りの自転車はあっちからもこっちからも走ってくる。それぞれがお得意を持ち、仲良くやっているのだろう。でも、競争も激しいのではないだろうか。


 ロータリーの上にぼんやりとかすんだ太陽が姿を見せた。6時半、タクラマカン砂漠の太陽は砂埃にまみれて朝は元気がないのだ。そんなぼんやりお日様の下で地面にひれ伏してお祈りをしている人がいた。ロータリーの中なのだ。敬虔なイスラムの信者?と思いつつ、カメラを構えながら近づいてみた。何
枚かシャッターを押した。そして間近で見ると、拝んでいた頭の位置には1元札が石で押さえておいてあったのだ。

 「うわぁおぉぉ!やられたぁぁ!これはおもらいさんだったぁぁ」だまされたお礼に1元札を差し出しその場を離れた。これがチェルチェンのバザールに次いで2度目のおもらいさん体験だった。


 ロータリーの向うには果物の露店が並んでいたが、品物はそのままで、おやじさんが台の上でグウグウといびきを掻いている。品物はむき出しのものもあれば、青いシートを掛けたものもある。中にはグルリとイスや机やオートバイで囲ってあるものも。盗難防止なのだ。どこの世界にも悪い奴が。

 町外れに向うと、商店の前で油が煮え立っていた。おやじさんが練った粉を棒のように伸ばしてポンと油の中に落とす。プワーと脹らんで揚げパンができる。懐かしい「油条」だ。華北ではどこに行っても「油条」と「マントー」の匂いがした。こちらではほとんどが「ナン」である。




 横丁に曲がると日干しレンガの土壁の家にはポプラの木が無造作に積み上げられている。これで屋根になっているのだろうか。粗末といっては失礼だが、土の穴蔵のような家である。二人の少年が小さなポットから湯を出して顔と手を洗っていた。「おはよう」というと、素朴な表情で「○▽■…」と答えた。きつとおはようと返事をしたのだろう。右手を差し出すとちょっと湿っぽい手で握手を返してくれた。

 さらに奥に行くと荒れ地になっていた。小母さんが連れ立って消えて行く。小父さんがなんとなく消えて行く。どうも朝のオツトメの場所のようだ。辺りを見るとゴミが散乱していた。

 ロータリーに戻ると人影が増えていた。自転車で行く人、オートバイで走り去る人、みんな厚手のコートを羽織っている。10度を切る寒さだ。高度1300mの世界はもうすっかり晩秋なのだ。

 

 昼もバザールを楽しんだ。そして夜は昨日とは違う店を選んでシシカバブを食べ、プラ笛を吹いて遊んできた。何もしない休日、時間があるようでいてあっという間に過ぎ去ってしまった。



10月3日へ 目次へ戻る 10月5日へ