8時はまだ薄暗い。食事時間の9時になってようやく白んだ空に赤みがさしてきた。現地時間は7時だが、東京の感覚にすれば6時半くらいだろう。中国の西の端に来ているのだ。
![]()
![]()
ホータンの観光旅行が始った。外国貿易専門の絨毯工場の見学。100名ほどの女性が手つきも鮮やかに手織り絨毯を作っていく。織るというよりは毛糸を結んで重ね合わせて行くと言った方が正確なのだろうか。少年が一人混じっていた。母親に連れられてきたのだとか。なかなかの手さばきである。男性も2人ほど混じっていた。
手さばきの良さでいくつかの仕事に分担されているという。速いものは3つ結ぶのに1秒もかからない。それでも、大きいものは数名掛かりで半年もかかるという。小さな物でも1ヵ月とか、3ヵ月とか。根気のいる作業である。
羊毛は化学染料で染められるものが多くなったが、昔ながらの草木染めもやっていると言う。桑の根っこを使ったりとその製法は企業機密で教えられないとガイドに説明係が話していた。
![]()
風景画の大きな絨毯は100万円だという。1畳ほどのものが6万円。模様はザクロを模したもの、花柄を模したものなど6種類ほどが原型でそれをアレンジして行くと言っていた。中には古代の遺跡から発掘されたものを再現したものもあった。
座布団くらいの大きさで200元ほ3000円だという。みんなが群がる様にしてとりあっていた。白玉河には天然の玉がある??というので行ってみたが「天然の石」がごろごろしていた。河原を歩いていると小さな箱を持った小母さんや小父さんが現われて「玉を安くしておくよ」と寄って来た。中には小判型のきれいな玉が入っていた。「1つ50元でどうだ」と盛んに売りつけようとしていた。
![]()
ホータン玉器の工場では研磨機で玉を加工していた。展示室にある原石を持つと、片手くらいのものでもずしりと重たく、思わず両手で持ち直すほどだった。おみやげに玉を買う人がたくさんいた。いいのか悪いのか、安いのか高いのか自分にはさっぱり分からない。値段さまざま、白、緑、赤っぽいもの。動物
あり、坊主あり、観音像あり、亀あり、ラクダあり好きなものがいいものだろう。この工場の玉細工の技術はそれほど卓越したものではない様だ。しかし、硬い玉を削って行く作業は根気のいることのようだ。
![]()
![]()
絹織物といえば、日本なら野麦峠を思い起こす女工哀史の一節を飾った産業だが、ここホータンでは今でも家内工業としておばあさんが繭玉から糸を紡ぎ、お父さんが絞りをして染色し、小父さんが織機で手織りしている。織り上げられた反物やスカーフはちょっと厚手の感じだかサラッとした手触りで感触がいい。ウイグル独特の赤、黄色、青色のよろけ縞の民族模様など7ほどの生地が壁に飾られていた。![]()
スカーフは1枚40元、数がまとまると値引いてくれたようだ。
中国は世界最大とか、最長とか大きいものが好きだが、ここには世界最古の手漉き紙の技術が残っていた。桑の若い枝の皮を剥ぎ、水に浸してふやかし、外皮と内皮に分ける。外皮は燃料、内皮はパルプとして紙の原料になる。
この地方では桑の木はとても大切にされている。葉は蚕の食餌に使われるのは日本と同じだが、実はジュースにして市場で売られていたし、細い幹は天井の素材に、太い幹は屋根の上で寒さを防ぎ後では焚き物に、根っこは絨毯の染料になり、そして若い小枝は手漉き紙の原料になる。
パルプは水でほぐされ、木槌で叩いて繊維を細かくし、さらに叩いて叩いて紙粘土のようにする。それを壷の中で水に溶かし、50cm四方の紙漉きの枠の中に流し込み、先端に十字の板を打ち付けたかき回し棒で、真ん中に左右と均一になるようにかき回してから、サッと水からあげて庭に干す。
干すのは息子や孫の作業。干しあがった紙は剥がして二つ折りにして、100枚ずつ束ねて商品にする。100枚で50元だった。紙の用途は習字の紙、漢方薬の袋などで、非常に丈夫である。
![]()
ホータンバザールは喧燥に満ち溢れていた。中国一をカシュガルのバザールと競い合っていると言うがまさにその通りだ。ただ、喧燥と小汚さではこちらの方が数倍上だろう。「売っていないのはヒトだけさ」とガイドは胸を張って威張っていたが、これまた正にその通り。牛、羊、とり、はと、魚、菓子、日用品、パンツ、シャツ、おもちゃ、タンス、肱掛椅子、三面鏡、「おっ!ないものを見付けたぞ…ビールとお酒だ…・・」
喉が渇いたのでバザールの中でビールを探したがついに見つからなかった。仕方なくちょっと外れて大通りに出て交差点の近くに行くと漢族の店があり、そこにはチンチンに冷えたビールがあったのだ。
夜市は相変わらずの賑わいだ。今日はウコンで調味した鶏の丸焼き、とてもおいしく食べられた。